いのうえ

気まぐれに気になったことを拙く書いています。気が向いたらコメントしてくださ〜い!

勝手にふるえてろ、から

だいぶ前から、綿矢りさが好き。全部ではないけれど、彼女の作品はほぼ読んである。個人的に1番好きなのは「夢を与える」だけれども、今光を浴びているのは12月に映画が公開される「勝手にふるえてろ」ではないだろうか。

 

 読んだのは結構前のことなので内容があやふやだが、20代半ばになっても中学生の時に好きだった男の子のことがまだ一番好き、というような話だった。現実世界にそんな人がいたら、かなり興ざめするし、適当な返答が思いつかないし、そういった気持ちを抱える本人だって周りの反応は予測できるから、ひっそりと臭いものには蓋をする。のかもしれない。でも、でも、実のところは、共感できる気持ち、持っている人多いのではないだろうか。

 

 恋愛として私の周りにまとわりつくのは大抵が一方通行。その中でも濃度が違う。今となっては好きだったことさえぼんやりとしつつあって、かなり水割りされてしまったようなものがごちゃごちゃとある一方で、カルピスの原液くらいを飲まされてるくらいくどい、のもある。小学校6年生のときのは、ちゃんと飲める準備がまだできていない。

 その男の子にははっきりと眼中にないと言われていたのを人伝いで知ったけど、それをきちんと聞かされた時には別の人に首ったけだったし、客観視してまあそうだろうな、という感じでとりわけ失恋ソングに浸りたくなるような気は発生しなかった。だけど、厄介なことに何回か波がやってくるのだ。

 中高も同じだったが、一言も会話の機会はなく、いろんな人を好きになって、薄れていったような気はしていた。それが、誤解なんだと分かるのは誰のことも好きじゃないとき。今とか。ツイッターやインスタの写真は即刻スクショして保存している。フォルダをつくるのはさすがに憚られるから控えているけれど、つくりたいのが本音である。向こうはこの10年でコンマ1秒でも私のことを思い出していたらいい方で、私が一人で物思いにふけっているような午前1時とか2時くらいは、一方的に汚物を押し付けてきた女にネトストされてることを知る由もなく、私が知らないような女の秘部に顔を近づけて舌を這わせたり、そこに自身を埋めて絵も言われぬ快感を共有してるんだと思うと、一緒の墓に入ったくらい口元が緩む。画像を見て、拡大して改めて彼の顔が、私にとっては科学者が愛用する標本くらい美しくそそると考えていることなんて想像の範囲にはないだろう。好きな人ができたら、15年に4回くらいしか思い出さないだろうけど。

 

 勝手にふるえてろ、一人で観に行きます。