いのうえ

気まぐれに気になったことを拙く書いています。気が向いたらコメントしてくださ〜い!

ブス

ねほりんぱほりん の「整形する女」回を観た。ブスとして胸がいたたまれなくなる回だった。涙が出そうになった。ツイッターの美容垢を見ていると世の中には整形する人がいっぱいいて、この回でも中三から整形をスタートしたと言う人がいて、私が思うよりずっと整形の敷居は低いのだろう。唯川恵の『肩ごしの恋人』でも主人公のめっちゃ美人な幼なじみが「ブスなのに整形しないのはなぜ?」と思ってしまう、とのことを言っていた。でも整形に対して踏み出す勇気がでない。理由は三つある。一つは痛みとか失敗して今よりブスになるのが怖い。あとメンテナンスとかめんどくさすぎてできない。二つ目は私が整形をやり始めたら間違いなく整形依存症になる。自分は変なところでこだわりが強いので一度やり始めたらアクセルがかかりっぱなしになるのが目に見えてる。三つ目は整形をしたところで私はかわいくならない。アイプチしても化粧をめちゃくちゃ頑張って研究して実践してもかわいくなかったし、スノーをやっても私はなかなかかわいくならなかった。ブスが着飾ってもおしゃれなブス、化粧を懸命に施しても他者はメイクを頑張っているブスとしてか認識してくれないのである。話を戻すと、顔のかわいさはパーツの質と位置が大事なのだが、位置がどうしようもないのでしても期待できない。

 ねほりんぱほりん で整形したきっかけで好きな男にブスと呼ばれたことだと述べた人がいた。「ブス」という単語はライフルと同等なくらい殺傷力が高い。私は好きでもないしちっとも仲良くもない人に「あいつブス」とか「酸素を求める魚に似てるね」と言われたことがあるのだが、それでもだいぶ傷ついた。好きな人から言われたときのことは計り知れない。うつ病になったり自殺してしまう可能性だってある。私だったらどれだけ好きな人であっても「ブス」と一回でも言われたら、百年の恋も冷めるどころか、とんでもない不幸がおきうように呪うだろう。デスノートに名前は書かずにいられない。自分でブスを売りにしている子ならいいのかもしれないが、大抵の人にとって「ブス」と言う単語は練炭です。事実でも冗談でも言わないでほしい。自分がブスだなんてことは10000年と2000年前から知っているので、あえて言語化するな。陰で「ブス笑」って言われるのも許せない。そういう人は私の中で残虐な方法で殺害しているので、もうこの世にいない存在として解釈している。接する時には私は今幽霊と会話しているのだと思い込んでいる。

 思うに、女の子で顔がブスなのは男の子がブスよりも悲惨。それは、女は顔がよくないと生き難いから。かわいい顔をしたモデルや女優が、顔だけをみたら普通にブスなスポーツ選手やお笑い芸人と付き合ったり結婚したりするケースはごまんとあるけれど、その逆の事例を挙げられる人はなかなかいないのではないだろうか。一例も思いつかなかった。一般論として男はさっぱり、女はネチネチとの言説があるが、性差<<<個人差だし、男だってかなり卑しい。その逆も然り。前説のように男は顔が整った女が大好物なのだ。ブスは汚物か空気としてしかみてない気がする。中高生のとき、容赦ないかわいい子ランキング、ブスランキングを作成していた同級生が何人もいたけれど、彼らの顔だって悲惨なものだった。また「あいつ抱けない〜笑」「あいつとは付き合うのは無理だわ〜笑」とほざく輩がいたが、一体どうしてその「あいつ」は君たちに抱いてもらうこと、付き合うことを前提で話しているのか摩訶不思議だった。どうしてその顔面をぶら下げて、自分のことは完膚なきまでに棚にあげて、他人の顔を評価できるのか。自分のこと吉沢亮だとでも思ってるんだろうか。根拠のない自信ってぞっとするほど恐ろしいものだなぁ。私だってどうしようもないブスのくせに、ブスに対してブスだなぁと思うことは一日で幾多もあるけれど、「ブス」と言うたったひとつの単語がどれほど心を抉るのかを当事者として痛いほど分かるから、音声に乗せず思考に止める。

 番組内で美容外科の先生が美容外科は精神科とおしゃっていたが本当にその通りだと思った。私なんかはブスのくせに自意識過剰なので、人前で鏡をみることができない。「あいつブスなのに鏡ばっか見て自分のことかわいいと思ってるんじゃない笑?」と思われそうで。服装もaxes femme やダズリンなんて着たら確実に逮捕されるので服の9割はgu、honeys、uniqloの商品。メイクもしたって素材がよくないからと諦めて最低限しかしない。私の知っている顔のかわいい子は性格も本当によくて誰にでも話しかけて同じ態度で接してくれるし、友達も多くて明るくてみんなに愛されている。ブスは他人から適当に扱われるし、ブスブスと言われまくって心も荒むし、性格が良くなるわけがない。以前「世界がブスに厳しいのにブスが一方的に優しくできるわけないだろ」とバズったツイートがあったが全くその通り。「顔もブスなのに性格もブスなのかよ笑」と言われるが、顔がブスだから性格もブスなのであって、因果関係をごちゃごちゃにしないでほしい。あと受け手側の認識もある。美人とブスが同じ行動をとっても、顔が良ければ許せる行為であるということを忘れてはいないだろうか。

 ブスにできることは整形をするか来世に期待して今世は諦めるの二択しかないの。以上ブスの戯言。

勝手にふるえてろ

 クリスマスイブという街にカップルが溢れる中、たった1人で恋愛映画を鑑賞しに行くという訳のわからない行動をしていた。チケットを買うとき大学生カップルを横目に感情を持たない訓練をした。

綿矢りさが好きなので映画化が決定してから、主演が松岡茉優ということもあって楽しみにしていた。結論から言うと、ツイッターを見る限り高評価のようだが、私は原作の方がずっとずっと良かった。まず、出演者が原作のキャラクターに合わない。松岡茉優は桐島〜で太田光に化け物みたいに演技が上手いと評されていて演技に定評があるので、こんなに顔がかわいい子がアラサーまで処女な訳あるか!と思っていたが松岡茉優ではなくヨシカとして存在していて処女であることになんの違和感もなかった。二役の人が全く自分の思い描いていたのとは違かった。ナヨナヨし過ぎている。ヨシカは二のことをコンソメの様だと言っていたので、二役の人は濃い感じは出ていたけれど、その濃さというのはなよっとしている彼自身の特性から来るわけでは無くて、あくまでもイチとの比較に原点がある。ガンガンアプローチしてくるのもあって、二は割りかしがっつりしている印象だったので、終始な〜〜んか違う(太巻さん風)との感覚が抜けなかった。現実と妄想がごちゃごちゃになっているのが特徴だとは思うが、イチとエレベーターに乗るシーンに二も入り込んできてやりすぎ感が満載。ヨシカの妄想はイチが基盤なのに、二までぐいぐい入れないで頂きたかったし、あそこまで侵入すると訳が分からん。このモヤモヤした感じは何でだろうか、と思いを巡らせていて、ふと彼がまれに出演していたことを思い出した。まれではほんとぅぅぅぅぅに言葉を発しない役でどうもそれを引きずってしまったぽい。もちろんそれらは全然違うキャラクターなわけだけれども、観月ありさがナースだったり、武田鉄矢が教師だったりと一つのドラマのイメージを固定化してしまうことはよくあるので、私の中でその感覚が落とし込まれていたのではないでしょうかね。イチもまあ中学生とアラサーを同一人物が演じているので仕方がないことだ。しかし、今の姿は良かったが中学生時代が違う〜〜!!原作でも髪型について記述はあったが、あんな亀頭みたいな髪型ではない。というか、俳優さんに亀頭が似合っていない。運動会の時の顔は濃過ぎてもっと淡い感じが欲しかった。あと、片桐はいり等。作品の主軸の1つが「名前」ということで岡里奈さん、釣り叔父さん、金髪ウェーター、コンビニ店員、駅員さんなどを盛り込んだのだろうけれど、個人的に要らなかった。ヨシカの妄想癖も表現しようと意図していたのか世の中で本能のまま人付き合いする難しさを込めたのか不明だが、これもまたな〜〜んか違う。彼女の妄想はイチがベースだし、片桐はいりみたいに存在感が強いものは置いていない。ヨシカっていう人はもっと強烈で自身の世界の主人公、更にイチ第一主義なので無駄な感じがした。石橋杏奈のもう少し嫌な女感ください。原作ではあざとい女だったのに、影がかなり薄かった。「勝手にふるえてろ」というセリフは原作ではイチに対して、映画では二に向かって発せられていたけど、イチカのこれまでの思いがイチに大して負的に爆発する要のところだから、そこは弄らないで欲しかった。だけど、 最後の玄関先、しかも土足場でぴったりと2人が収まって口を付け合うところは良かったです!

性の6時間を迎え、以前書いた長年心の何処かで私が良いなぁと思っている人は出し入れに勤しんでいるみたいですが、見ない振りをして寝ます。いっそのこと妊娠でもして困り果て、人生プランが狂いまくるといいな!!!

学歴コンプレックス

 タイトルままです。ひとかけらのひねりもありません。

 私はFランではないけれど、高学歴でもない実に微妙なところの出なので学歴コンプレックスに日々苛まれています。受験生でもないのに、多浪生のていでオープンキャンパスに行っては、スタッフをする高学歴大学生のきらきらしている姿を見て心の中では大号泣しています。テレビで東大早慶の校舎が出るだけで、学歴コンプで圧死寸前です。一生この学歴を背負っていかなければならないことを考えると絶望の海で溺死します。文系なので院で学歴ロンダも難しく、私のアイデンティティはこの大学で形成されます。もちろん、すべての責任は高校時代に勉強しなかった自分自身にあり、そんなことは十分承知しているのですが、大して勉強をせずに推薦で上智早慶に行った人を見ると、今すぐ各々の学校の学長になって権力を不正に行使し、彼らを退学に追い込みたいです。指定校も含めてすべての推薦試験なんて廃止した方がいいですよ。学校は勉強するところなのだから、ペーパー試験で測れない能力なんぞ不要です。多様性だって大学の集団なんて言うのは単に同じ試験に受かっただけでしかないんだから十二分に確保できますよ。内部進学も撤廃して、大学入学希望者全員に試験を課しましょう。

 話が逸れましたが、私学歴コンプレックスを作り上げている最大の要因は頑張らなかったこと、自分は頑張らねばならない時に頑張れない側の人間だということを思い知らされたことです。私の大学は滑り止めで来た子が本当に多くて、むしろ本命で来た人の方が少数派のような気がします。そして彼らは初めの頃は肩を落として、大学の悪口や不満を言います。それでも、サークルバイト資格取得留学等切り替えてやっていける人がたくさんいるのです。私は学校生活もとっくに後半戦に突入しているのに未だにウジウジしていて高校時代の自分のことを悔やんでは悔やんでは泣いています。だからといって特に何かに没頭するわけでもなく。高校時代のこと、今の生活、それら全てを包括して私のブラックホール級に広大で闇にまみれた学歴コンプが出来上がったのです。めちゃくちゃ勉強したのですが、早稲田落ちてマーチに行った知り合いがいて、彼女はそれでも切り替えて学生生活を楽しんでいるようです。彼女は私よりはるかに多い勉強量をこなしても本命に受からず結果を知ったときの心情は計りきれません。さらに彼女の友人には彼女よりも成績が下で勉強量も比ではないくらいしかこなさなかったにも関わらず指定校推薦で早々楽々と早稲田に行った人がいました。一般入試では確実に受かりません。その友人は正月前には合格していたので「今年も寝正月だ〜笑」なんて側で言っている姿を彼女は怒りを隠しつつも笑いながら対応していました。入試が終わったとき、彼女を襲ったのはやりきれない思いだったと思うのですが、そんな中でも「私は目標に向かって計画を綿密に立てて、適切に努力できる側の人間だ」という確かな強みと自己構築要素を得ることはできたのだと思います。一方、私は受験勉強が本当に辛くて向き合うことができず、自分は努力できない人間であることを生涯背負っていかないとならないのです。自分の出た高校よりも偏差値が低い其れの進路実績を見て、難関校に受かっているのを見ては嘆き、自分は高校のときと何も変われていないなあと再認識しています。終わり!

女の子

最近、悪口しか言っていないような気がする。今回もそんな予感。

 

職業に貴賎なしと言われているが、まあそんなことはないだろう。ところで、私が思う勝ち組の職業は専業主婦である。今の時代なかなか専業主婦はいない。定職を持たずとも、パートなどで夫婦共働きが多い。私の周囲でも妻が専業主婦というのは極めてレアケースである。専業主婦になるには体が弱いとかを除いて、一般的には一人で家族を養っていけるほどの稼ぎがある男を捕まえなければならない。どこでそんな男と出会うのだろうか…?

 一つの方法は女子大に行くことだ。女子大はインカレが多い。茶水東女は東大、本女は早稲田。津田は一橋、京女は京大。藤女子は北大、名女は名大…と茶水以外はそんなに偏差値が高くなく(むしろ低い)女が大して勉強をしなくても高学歴男をゲットできるチャンスがあるのである。私の知人でも京都女子大に通い、関西のインカレサークルに入り京大男を捕まえた女がいる。彼女は顔は客観的に見てもかわいくはないが、コミュ力と社交性に秀でており、とにかくモテてモテて彼氏が途切れなかった子だった。

また高校時代はほとんど勉強せずに帝京短大に推薦で入って、バイト先の明治経営のイケメンを彼氏にした顔がかわいい知人もいる。NMBの女の子に勉強は必要ないみたいな内容の歌が大炎上したが、あながち間違っていない。ブスは勉強を頑張らなければならないけれど、顔がかわいかったり、モテる性格をしているような子は勉強なんてやらなくていい。最低限の常識さえあればなんら問題がないのだ。勉強なんてしている時間があったら男の立て方とか容姿を整えることに専念すべきである。The Great Gatsbyに出てくるDaisyは彼女に娘が生まれたとき、"I'm grad it's a girl. And I hope she'll be a fool - that's the best thing a girl can be in this world, a beautiful little fool."と言っていた。ギャッツビーの時代は昔だ、と思うかもしれないが、今現在でもこの構図は全く変わっていない。デイジー自身はバカどころか実に聡明で、頭が悪い振りをしてトムのことをたてているし、最後な成金のギャッツビーより名家のトムを選ぶし、頭が良い。だからこそ、女の子はかわいくてちょっとばかなくらいが処世術だと気付いている。

 でも私はブスでも自立して生きていこうとする女の方が好きだ。ミス東大とか人類の鏡みたいな存在だ。かわいいことは熟知した上で、可愛さに甘んじない生き方は本当にかっこいい。顔がかわいくなくても、必死に勉強して高学歴を鼻にかける女は、顔が佐々木希レベルでも彼氏の学歴を自慢してくる女よりずっとずっと尊い。京大生同士で結婚したカップルをふた組知っているが、結婚までいくとなると双方のレベルが一致しなければ大変なのかもしれない。女子大の女は周囲が高学歴男ばかりだから、自分の学力が高いような気に陥っている傾向があるが言うまでもなく幻想である。実に痛々しい。〇〇大学なんてFラン無理〜〜笑笑みたいな発言を繰り返すが、君の行っているところも十分なFランなんだよ。特大ブーメランですよ。よく言われるのは、遊ぶなら京女、付き合うなら同志社、結婚するなら京大とのこと。京女と京大のカップルなんて普段どんな会話しているんでしょうね。ひとつだだって橋女は津田塾生のことめちゃくちゃ冷ややかな目でみてそうですね。

あべりょう

ようつべの広告にイライラしている人は多いのではなないでしょうかね。まあ大抵はうざいなぁ、くらいで済むんですが、あべりょうの広告はゾッとして否応無しに鳥肌が立ってパソコンをぶっ壊したくなるほど気持ち悪かったです。スカイダイビング中のインストラクターの裏切りは怖いものみたさで全て見通してしまいましたが意味不明過ぎでした。児相に通報しても無駄だよ、とか言っておいて最後には通報してください、って何を言いたいの?逆説的なことを言おうとしているわけ?虐待が深刻な問題だというのは分かるが、あんな安っぽくて薄っぺらい歌に乗せられてシリアスさよりも不快感に押されます。もしかして、敢えてそういう手法を取って印象付けているんですかね。それにしても、ツイッターを見ている限り低評価の方が低そうなのでようつべの運営はなんとかしてください。日本の子どもが嫌いもこいつ何言ってんだ!って感じです。どう考えても今の体制は就活する側に非無いし、企業が新卒だコミュ力だってうるさいから順応しようとしているだけで上から目線で悪口言っているけど何様なんでしょうかね。給料で動くことは悪のように書いているけど、働く目的って基本金だよね?そんなことほざくならてめぇも広告出すなよって感じです。だいたい50万人のクソガキってそれだけの数を一括りにできない。それだけの人数いたら色んな人がいる。あべりょうに限ったことではないが、すぐ女は〜だ、若者は〜〜だ、って主語を大きくして語る人がいますけど、物事はAならBって纏めて一概化が可能なほど単純ではないです。個人差の方がずっとずっと大きい。統計取ったり、実際に標本調査した訳でもないのに、自分の周りの狭い世界を基準にして、世界の全てが分かったかのように言わないで。第一あべりょうは就活したことあんのかよ。あって経団連とか企業に問題感じず労働者側に責任があると思うのも、無くて表面的な知識だけで唄っているのも双方どうかと思うが、就活で必死に努力している人の話聞いたら純粋に凄いなぁと思うし、絶対にあんな歌詞書けないし、言えないです。就活の為にたとえ偽善でボランティアしたって、行動起こして生産しているのだから、何にもしない人より評価高いですよね。es書くのって、何度も校正して、頭使って大変なんですよ。なんで素直に頑張っている人のこと褒められないのか。人の頑張りを嘲笑って楽しいでしょうね。気を衒っている自分に酔いしれているのでしょうね。眼高手低、いや眼低手低ですね。ゆとり世代以外はあまり教育コストをかけていないそうなので、義務教育受けてないでしょうね。教育コストってかけたらダメなんですかね?良質な教育提供するためにはそれなりに費用かかるんですがらそれも許せないってことなら国力低下を待ち望んでいるんですよね。日本の子どもより移民の方が生産性高いそうなので、じゃんじゃん受け入れて奴隷のように扱うことを推進しているんですよね。3歳児以外レベルの脚韻の歌詞書いたあとドヤ顔で自己陶酔してますね。これは皮肉なんだよ、風刺なんだよ、理解できない人はおかしいよ、と言う彼の支持者もいますが、そういうことではないんですよ。就活中って心に余裕なくなって、不安で圧死しそうで、精神的に苦しくてそんな中でブラックユーモアなんて全く響かないんですよ。過激な単語並べておけばバカが飛び付くだろ笑、みたいな作風が嫌なんですよ。この詩を読んで人のこと貶してるしせせら笑いしてますよね。傷つけてますよね。そういう中に面白さって本当にあるんですか?

 

日本の子供が嫌い
作詞/あべりょう 作曲/あべりょう

<歌詞>
意味のない奴が就活 無能を競いあう就活
就活ビジネスが煽る 就活戦隊ナラブンジャー

就活のネタにするために 被災地ボランティアhit and away

50万人のクソガキどもが 身の程も知らず押し寄せて
無能の仕分けで人事労務部の 採用コストがバカ上がり
5,000万枚のentry sheetを 業務も知らずに送り付け
受験は偏差値 会社はブランド 盲目のヌーの川渡り

無能がトゥーマッチ 給料ハウマッチ?
雇用のミスマッチ 就活デスマッチ


日本の子供はいらない 労働スペック低すぎ
少子化対策いらない 移民政策で十分じゃ

被害者意識の欝病使いが 休業補償でinto the sky

50万人のクソガキどもが 会社の経費にパラサイト
ゆとり世代を躾けるために 教育コストがバカ上がり
無断退職の就活ニートが 自分探しのバカ留学
英語がしゃべれず電撃帰国で 現実逃避が増すばかり

自己愛トゥーマッチ 親からハウマッチ?
お前ら最高 センキューベリマッチ

日本の子供が嫌いだ 日本の子供がキモいんじゃ

 

ですって。。。

うるせぇんだよバーーーカ!!

まあこんなクソみたいな歌詞にエネルギーを向けている時点で彼の思う壺なのかもしれないですけどね!!

快青第三弾

 快青第三弾です。前にどなたかがツイッターyuiのagainは快斗ソングとおっしゃていて、実際に聞いたらイメージが膨らみ広がり不覚にも泣いてしまった。今聴きながら書いている。

支部でブクマをした作品を見て自分の嗜好が分かってきた。なんとなく認識していてもちゃんと可視化することで新たな気づきがたくさんあるよね。みんな大好きなR-18ものが大半を占めていた。公式でそこまで描くことはできないから、自分の脳内だけではとても補完できない作品を供給してくれるかき手さんたち本当にありがとうございます。最近頭の中に一瞬でも思考の隙あらば、彼らのことを考えている。そして、支部の履歴を見たりしていて、快青のブクマした作品から私は彼らにどうしてこんなにも強く粘着に惹きつけられてしまうのか判明した。答えは脆弱性、です。公式ではハッピーエンド以外受け入れられないけれど、私は悲恋ものも大好きなのだと。青子ちゃんがキッドであったこと受け入れられず、快斗くんとは別離があって、彼は虚無感や寂しさを満たすためにかわいいけど決して青子ではない女の子を抱いて抱いて抱く作品があったのだが、好きすぎてスクショして毎日眺めている。

 あんなに喜劇みたいな雰囲気なのに、刹那に壊れてしまいそうな危うさに魅力が詰まっているのだ。対比って芸術作品でもよく用いられる手法ですよね。普段はおちゃらけた男子高校生なのに、得体の知れない組織に何度も命を狙われて、好きな女の子を守るために腹部から大量出血して、親の盗品返して、一番大切な人に嫌いと負の感情を抱かれて、その辺の高校生は一生のうちでも経験できないことを乗り越えて、よほど精神力強くて強靭な覚悟しないとできない。青子ちゃんの純粋さとか明るさに彼は幾度も救われてきたのもある。こんな高校生全国津々浦々探してもいない。新蘭と比較されることが多いが、別人なのだからやっぱり違う。青山先生はあれだけ登場人物が多いのに、一人一人個性を緻密に醸していて偉大すぎます。

 まず、青子ちゃんと蘭ちゃん。正直な話、私は蘭ちゃんがちょっぴり苦手です。美少女だし、和葉ちゃんに一方的に嫉妬されて服を着替えるところとか、銀座で彼女の気持ちを汲み取って素敵な言葉をかけるとかいい子であることは確実なのだが、新一が絡むと面倒臭いです。お互い様ですけどね。青子ちゃんと蘭ちゃんは圧倒的に公式からの供給量に差があるので考察するのが難しいのだが、好きな男の子に対して自分の気持ちの対処に関するベクトルが青子ちゃんは内向き、蘭ちゃんは外向きですよね。青子ちゃんは、日輪の後光、彼から手を引いて、黒羽快斗の忙しい休日からみての通り、最も肝心なことは彼に直接言わず自分の中で消化しようとする。普段明るくてなんでもないようなことは口にするのに、彼との関係が変わるようなことは慎重に慎重に心内に埋めて引いてしまう。これも脆弱性の要素の一つかな。青子ちゃんの陽と陰は庇護欲を掻き立てられる。二次創作でよくあるけど、快斗には何が何でもそこから手を引っ張って欲しい。蘭ちゃんは下がることもあるけど、基本ガンガン攻めます。コナンくん今まで散々タジタジしたね〜。だから、私が蘭ちゃん苦手と言うのは完全に好みの問題でどちらのタイプが好きかである。まあ幼稚さとか身体的な強さとか分かりやすいのは略。新一と快斗は1)自分の意思、2)犯罪と正義(隠し事をするようになった理由)、3)仕事(探偵と怪盗&マジシャン)、4)性格、が大まかな差異。全てをとっても、快斗くん脆すぎ。性欲強いの魅力の一つだけれども、ベクトルが分散してしまいそうで怖い。私が大好きな小説佐藤多佳子の『黄色い目の魚』で木島くんとヤっちゃう前に似鳥ちゃんがタイプの男は消えない人、と言っていて似鳥ちゃんのこと完全には嫌いになれないなと思った印象的なシーンなのだが、彼は消えてしまう男である。昨日まで青子ちゃんのパンツめくって更衣室侵入してケケケー、って言ってたのに翌日家に行っても誰もいないし、学校にも来ないし消える。青子ちゃんは働くべき勘は作動する聡明な子だから、なんとなく全てを悟る。そもそも、怪盗にならずとも、この二人には進路ですれ違う可能性があったのに、彼が引けないところまで到達してしまったのは完璧に闇。自分の貧相な頭だとあまり幸せに持っていける過程が想像できなくて、闇墜ち大好きだからいいのだけれど、やっぱり公式の最後見届けるまで死ねない。

 

 もう引き返せない物語始まってるんだ。