いのうえ

気まぐれに気になったことを拙く書いています。気が向いたらコメントしてくださ〜い!

失恋しました。

失恋しました。ちゃんとした失恋じゃなくて自己完結型の失恋で4ヶ月ほぼ毎日していたLINEが突然未読無視され連絡が取れません。ツイッターは更新されているので一応生きてはいるみたいです。でも私の心は死んでいます。享年4ヶ月。

 

二人で会った時に告白すればよかった。家に誘われた時色々考えずに行けばよかった。電話したいって言えばよかった。色々な後悔の波で溺れ死にそうになっている。

 

片思いされてる子を未読無視した話とか、高校の頃の友達がいっぱいいたのにまともに連絡取ってる人が一人しかいないとか言ってたから自分からどんどん縁切りしてきたんだろうな。切れる縁じゃなくて故意的に切った縁でしょ。

 

今も声が聞きたい。優しいあの声で下の名前を呼んでほしい。手に触れたかった。キスもハグもセックスもしたかった。会いたい。まだ明るい未来があった時は「会いたい!」とか言ってたくせに「会えるといいね」とまで言われるようになってしまった。びっくりマークすら付けてくれない。てか、会えるといいねって何?どんな偶発性に頼ったって都合合わせないと会える訳ないだろ死ね。会えるといいね、って会う気はありません、の言い換えでしかないですよね。

 

もしかしたら恋人ができたのかもしれない。未読無視される前に夜中には絶対に返信が来なかったから、私が行き損ねた部屋に女の子を呼んでセックスしてたのかなぁ。彼、来年から非正規公務員かつ奨学金有りだから妊娠でもさせたら金でめちゃくちゃ困ると思うけど、地獄を見てほしい。私と一緒じゃないならとことん不幸になればいい。だって、私が1番あなたのこと好きだからエネルギーを注げるし大事にできるから。でも大事にされたいんじゃなくて、あなたは好きな子を大事にしたいんですよね。結婚したいと思える相手に出会った時が俺の結婚したい時とかぬかしてたけど、そういう相手に出会ったんですね。2人もろとも生き地獄でも味わってください。私、聖人じゃないので幸せになってほしいなんて思えない。

 

彼に7年片思いしている子がいて、彼女は未だにラインを送りつけたり会いに行ってるらしいんだけどそこまでの行動力と勇気は尊敬する。追撃LINEすらできない私には真似できない。いやすごいわ。7年も片思いできないし、嫌われてるのにそこまで動けない。ある種の才能だわそこまで行くと。

 

何がいけなかったのかなぁ。男が一度もうどうでもいいや、と思ってしまうと本当にどうでもいいんだと思う。女のどうでもいいと違って猶予が皆無。2週間くらい前までは普通だったのに急激に冷たくなって遂には未読無視ですか…今日みたいな日はストカン飲んで寝るに限るんだけど台風で外出できる状況ではない。酒もない。とことん自分のメンタルと向き合わないとならないので心が悲鳴を上げている。クリスマス誰とどうやって過ごすんだろう。好きな女でも家に呼んでケーキ食べて同じくらい甘ったるいセックスでもするんだろうな。避妊に失敗すればいいのに。優しく名前呼ばれて、私が触れたかった体に触れて、手を握られて、見れない表情を独占できる女の子がこの世にいると考えると刑法を犯しそう。可笑しそう。

 

私メンタル強い方だけど、昔から失恋だけには弱い。中学の時の失恋だって一年以上引きずったのに、大人の拗らせた思いを昇華するにはどのくらいの歳月が要るんだろう。会わなきゃ忘れるし薄れるんだけど、仮の失恋ならちゃんと思いをぶつけて正規の失恋をすれば良かった。いっつもこんなんで自分がますます嫌いになる。好きです、の四文字って卒論の指定文字数くらい重みがあるよね。もう感情がぐっちゃぐちゃだし、あなたはお願いだから死にたくなるような不幸の渦波の中で死ねるまで酸素を求め続けてください。

恋をしちゃいました

タンポポの曲名ではなく私事です。

四年ぶりくらいに異性を好きになりました。

 

曲折あって古くからの知人と再会し、いつの間にか好きになっていました。

何がどうだか分かりません。

15年以上前から知っていて何回か喋ったことはあったのですが、特に仲良くもなく再会することさえ想像してなかったです。

その人は昔からずっと異性に人気があって、でも特段顔がかっこいい訳ではないのでなんであそこまでモテるのか不可解でした。

 

でも接してみて分かった。

とにかく女の扱いが上手い。欲しい言葉を言ってくれるし、弱ってるタイミングで優しい言葉をかけてくれる。言葉遣いが選び抜かれてる。

これはモテない訳が無いわ…と完敗しました。(何に?)

そこまで深くやりとりする前から好きかもなぁと思っていたので、連絡とり始めてからはもう深みにはまって動けないです。

多分賢くて優しくてそれなりにかわいい子が好きなんだろうな、って思います。高校の時に片思いしてたらしき子は彼氏持ちだったから完全に彼の一方通行だったのですが、まさしくそういう子でどんな人にも優しかった。同じ土俵には立てないなあって感じですね。

 

私のことは嫌いじゃないんだと思います。

だけど恋愛対象なのかと言われればなんか違う気がする。それなりにやりとりしてるのに会う話も出てこないし、恋愛話に持ってこうとすると流されるし、押すと引かれてる。こういう時優しい男はクズに映る。気がないなら変に期待持たせるようなこと言って優しくしないでお願いします。昔好きバレして明らかに避けてた人も、手紙を渡したら破って川に捨てた男もその時は残酷だと思ったけど、それはある種の優しさになるってことが分かるくらいに歳をとりました。勿論そんなことを意識して行動したのではなく、無為自然な行為だったのだろうけど、下手に優しく接してくる7億倍は優しいですよね。諦めろよ、ってサインな訳だから。

 

夏が始まりました。花火大会も海も行けそうにあひません。海に行くことを打診したら、優しい人なのでその場では乗り気な雰囲気を出してたけれど、今は暗黙の了解で立ち入り禁止区域です。

 

片思い、つらッッッッッッッ!!

 

 文体でも「けど」じゃなくて「けれど」って言うところや「ありがとうね」の言い回しが好きです。でも女の子は名前を呼ばれるのが好きだとかわかっててやってるんだろうな、って感じで女慣れしてるのが憎い。彼女は暫くいない、って言ってたけど、いいねが毎日更新されてるツイッターで去年のクリスマスの時期だけいいねしてないのは女とセックスしてたからなんだろうか。この先好きな女の子が出来て、極上に優しい言葉と行動とセックスを齎すのかと思うと顔も知らないその女の子を殺してしまいたい。恋って怖いなあ。

きっと色んな女の子にいつでも頼って、とか言ってんだろうな。ずるいなあ!!

 

二次創作ごとき

昔々あるところに原作はもちろん二次創作をこよなく愛する人間がいました。しかし二次創作をやってる人ってなんであんなに偉そうなのか、と一人のROM専は思っておりました…。

 

 私は根っからのROM専人間です!書いた小説を支部に投稿したところブクマ一桁だったので早々撤退したし美術の成績は2でりんごさえまともに書けないので絵描きなんてなろうとも思わないです。そして二次創作をされる方がすごいってのももちろん分かります、仕事に忙殺される中で時間の合間を縫って原稿書かれたり何の報酬も出ないのにツイッターやpixivに作品を上げられてそして何より努力を惜しまない…私の推しカプは公式からの供給が三年に一回レベルなので提供してくださる二次創作の提供は延命治療です。でもそんなに二次創作ってえらいんですか??絵を描かない人間は邪険にしていいんですか??

 

 私はとある絵師さんのサブ垢にフォロリクを送りました。本垢はフォロー済みでした。でもROM専なので特に交流はありません。数日経つとフォロー許可待ちからフォローするにボタンが変わっていました。あの人はフォロリクの×ボタンを押したのです。プロフにきちんと成人済みって書きました。地雷カプもあるのですがあえてそういうことは言わないようにして、なるべくそのカプとは関係ない話はしないようにしてとにかくツイートに気を配っていました。その絵師さんのプロフには成人済みであることが条件でリミッターなしと記載されていました。なのでどうして私のフォロリクを断ったのか全く分かりませんでした。フォロー数とフォロワー数を見てもフォロワーの方がかなり多かったので仲のいい人限定というわけでもなさそうでした。同ジャンルのその人にフォロリクは送っていない友人に相談したら私の垢は別に無害だとの言葉をもらいました。でもよくよく考えてみるとめんどくさそうな人であったことは確かなんです。本垢の方でちょくちょくリスト限定公開の作品を投稿されているんです。まあそこは彼女にとってRもの置き場となってなるのでリスト公開は仕方ないと思うんです。でもそのリストのメンバーがそれなりにフォロワーがいる物書きさんも受け付けないんです。ROM専なんて論外で同ジャンルの交流があるひとしか受け入れないようなリストだったんです。時間制限制をうたっておきながら。まあこれは個人の性格の問題だと思うんですがROM専のリプは絶対に返しません。多分返したら死刑執行されるんだと思います。いいねもしません。またその人と仲良しの物書きさんはアイコンやヘッダーを公式画像にすることは許しません。度々そのような行動をする人たちへの愚痴を吐露されています。じゃあその人のアイコンは何なのかというとお友だちに描いてもらった二次創作物を使っていました。偉そうな口聞いておきながら他人のまた他人の産物を頂いて自分だって大して変わりないことやってるじゃないですか。

 

 じゃあROM専ってそんなに悪なのかってことです。二次創作だって所詮他人の産物に乗っかってるだけじゃないですか。確かに色々大変だとは思うんですけど初めっからやってる一次創作に比べたらROM専と団栗の背比べ程度じゃないんでしょうか。だって結局は双方原作ありきなのだから。二次創作ってグレーな世界で出版社原作者様様な世界に生かされているんです。自分が絵や小説を書いてるあまりイラストレーター作家気取りで二次創作でしかないこと忘れていませんか?めんどくさい人間がいるっていう主張も分かるんです。特に中高生なんて公式の画像や酷いときは二次創作物の絵をトレスして加工しただけであたかも自分がゼロから創造したかのように「フォローしてくれたら配布します!」とか言っててまじで手のつけられないようなバカばっかりです。そんなバカも総括したって所詮は素人の二次創作者なんです。二次創作ごときで威張らないでください。結局は内輪なアカウントをあたか誰でも歓迎かのように4500人もフォロワーがいる場所に載っけないでください。原作ありきなこと忘れて調子のってんじゃねえよブァーーーーーーーカ!!

高校時代

よく今日はぼっち飯だ、とかぼっちでどこどこ行ってきた、とかツイートする人居るじゃないですか、でもそういう人たちって日常の大半がぼっちじゃない局面ばっかりだから自分の行動記録の中でぼっち行動が浮いてしまって異質なものだって感じるからそういう風に捉えることができると思うんですね。わたしなんて本当に友だちいないからぼっちじゃないことの方が緊急事態でしてね、むしろそっちの方がツイートで呟かなきゃいけないような気概に襲われるんですね。

 つまりわたしが言いたいことは私はプロのぼっちだってことです。中学はまあまあそこまで極めてなかったんですけど高校生になったら真正ぼっちになってしまい学校行事になると発熱して月に二、三回はサボってしまうような子だったんですね。もちろん仮病でしたけど。親は私が学校行くときには仕事でいないから私が行ってるのかなんて知る由もないし担任もファックスで欠席連絡が許されてしまうくらい適当だったし何より私は常習犯だったからお咎めなしでした。二月三月で三年生が学校に来なくても良い時期なんて酷くて図書館で勉強してる人たちの中に混じって授業ふけてました。修学旅行なんてなんの地獄巡りだよ、って思ったので保健室の先生に友だちいなくて行きたくないから不参加って許されるのかみたいな相談したら担任に伝わって親まで呼び出されて双方忙しい中私は説得させられて行く羽目になったんですね。まあ班別行動なんて最悪で接点が皆無なぼっちを受け入れてくれるような心優しいんだけど一ミリも仲良くない人たちと一日過ごしたのはまさに拷問の一つであれほど時間が長く感じたことはないかもしれないです。みんなが徹夜で恋バナしたり男女の部屋に行き交う中同室の人間とすらなーんにも話しもせずさっさと10時には眠りについていました。文化祭もサボろうと目論んでたんですけどなんやかんや仕事が当てられてて何より親が家にいるので田舎に一日を潰せる場所などあるわけなく校内周回してました。そんなぼっちが入り浸る場所と言えば図書館とトイレですね!私は両方でかなりの時間を費やしました。きっと友だちがいたら本なんて手にもしなかっただろうしぼっちが何から何まで負の方物ってわけじゃないんだなーなんても思っていたので私はぼっちの耐性がかなり強かったんだと思います。佐藤多佳子の黄色い目の魚なんて大好きで一年くらい延滞してたら卒業前に金払えって通告されて慌てて返却しました。私の二大推し作家は島本理生綿矢りさで学校にある数少ない本は読破しました。

 私は文学研究者でも作家でもないので小学生の感想そのものの持ち主なんですけど綿矢りさ作品に出てくる思考がぶっ飛んで不器用な主人公が愛しくて愛しくて仕方がないんです。「不器用」って自分で言う人信用してないんです。高倉健が自分のこと不器用ですからって言ったのはまあ〜許せるかなって思うんですけど川谷絵音が言ってたのは不器用な人間が不倫セックスして女に責任押し付けるようなことできるわけねぇだろバカかとか思ってしまうんで。でも彼女の作品に出てくる人物は凡庸な生き物の巣窟にぶち込まれたら違和感を感じてしまって列からはみ出してしまう。好きな男のためにレズでもないのに同性とセックスらしきことをやってしまったり小学生に家に入り浸ってエロチャットやったりとか個性そのもの京大生でも思いつかないような突飛な思考回路とそれを行動に移してしまう点が読んでいて元気になれました。

 勉強も笑っちゃうほどできなかったです。特に理系科目はなに言ってんだか全く頭に入ってこない。実はLDなんじゃないかって悩んでました。中学の時から理系できなかったのに何を血迷ったのか国立理系コースを選択し、今はバリバリ私文です。あの頃の私にはもう国立は無理だからさっさと私文コース行け、って言ってあげたい。友達もいない勉強もできないのダブルパンチだったのによく三年も通ったものです。

私の高校ってやたらと愛校心が強い人が多かったんです。Twitterで新入生が学校の悪口書いたら在校生のみならず卒業生までがどうしてこの学校の良さを理解できないんだ時間をこの空間で過ごせば大好きになるみたいなリプの嵐でなんの宗教布教かよ、って思いました。田舎のテンプレ的な自称進学校でまさしく井の中の蛙なんですけど、そう言うとされど空の青さを知る、って続くんだよ〜とか言ってきそうな嫌らしさがあるような人ばかりでした。それなりに要領よくやるし他人に興味ないような素振り見せてるんだけどスタプラとか裏垢に自分以外バカだと思ってるような発言垂れ流しにしている人結構いたんですね。安住紳一郎も指定校の人には何があっても負けたくないって言ってましたけど、作家になりたいとか言いながら指定校が来たからって早稲田の人間科学部に行ったブス 女ほんと嫌いでした。人間科学部ってなにすんの??いつも奇を衒った発言ばっかしてたけど絶対一般で早稲田入る能力ないです。まあ兎に角私はこの学校が嫌いなんです。教育実習の手続きのため2年ぶりくらいに学校に行って駅から学校までの道を辿ると当時の悪夢がめくるめくる襲いかかって来て圧死するかと思いました。教育実習って絶対知り合いいるし実習生同士でそれなりにコミュニケーション取らなきゃいけないそうだし高校の学習内容なんて人に教えられるような状態じゃないし陰であいつの授業まじつまんね〜って言われるの目に見えてるしまあ直接言われないだけマシなんですけどそれでも胃に穴が空きそうな要素てんこ盛りで授業中嘔吐するかもしれないですね。冗談抜きで。

20歳の元彼氏に子どもが生まれた。

中学生の時に付き合っていた元交際相手に子どもが生まれた。子どもが生まれた。子どもが生まれた…。え、え、え??別に悲しいとか切ないとかそんな感情は一抹もなくて、ただただ驚きが迫ってくるだけなのだけど、笑っちゃうくらいテンプレ的な田舎のd○nでもう笑うことしかできない。だって、相手の子はまだ10代で専門学校にこないだの春入学したばかりで、本人もまだ20歳だ。さらに彼は高校を中退してて、職を転々としている。中学の時もl○なんじゃないか、ってくらい勉強ができなかった。○dの人をバカにしてるとかではなくて、多分あれは本当にldだった。高校に入ってからちょっとしてすぐに別れてしまったのだが、周りの先輩たちに童貞なのを揶揄われるからって入学後に変わってしまって、セックスしようよ、としつこかった。私は怖くてずっと断っていて結局bまでしたっきりだった。先端を吸われたり舐められたりしたけれど、はっきり言って一ミリも気持ちよくなくて、小学生の頃から官能小説やセックスをしているシーンがふんだんにある小説ばかり選り好んで読んでたので、気持ちよさで脳がとろとろになることを想像していた私は拍子抜けしてしまった。そして、一回そういうことをやってすぐに別れた。多分、初めは私のことが本当に好きで付き合っていたのだろうけれど、高校に入って新しい出会いがあったりして目移りし、更にはヤラせてくれないと分かって私は捨てられたんだろう。でも、強がりとかではなく、あまり悲しくなかった。多分、その彼の友人が元元彼で、フラれてから1年くらいずーーっと諦められなくてその人に「私はお前のことなんて吹っ切れてるんだ!」ってアピールしたい気持ちが強くて。その彼のことはちょっぴり好き、くらいだったんだと思う。その彼氏と付き合うひと月前くらいに元元彼氏にいたずら告白みたいなのをされて、私はバカなので承諾してしまい、廊下ですれ違う度にせせら笑いされてて、悔しくて、ということもあった。懐かしいなぁ。そんな大好きだった元元彼は高校に入って似合いもしない金髪になって、多分mriで検査できないくらい全身に刺青を入れていて、付き合う女もどうしようもないくらいバカっぽくて、身の毛もよだつ田舎のDQNが仕上がっていた。なんでこんな人に執着していたのか自分にもぞっとしたけれど、つきあってたときに、彼が目を合わせないで「かわいい」って言ってくれたこととか、お互いが初めての口づけの相手で、唇同士を合わせた際はにかみながら「はじめて?」って平仮名みたいな音で聞いてきたこととか思い出してしまうと、dqnになってても、私はやっぱり呆れるほどバカなので好きになるよなぁなんて自分の気持ちを肯定してしまう。

 話が逸れに逸れた。戻します。元彼氏の子どもは本当にかわいそうだ。あんな学がない中卒男の元に生まれて育てられて。彼はかなり移り気なので、その子は成長しても実の父親と過ごせないかもしれない。多分お金もないので高等教育は受けられないと思う。まだ、二十歳で私はテスト勉強で苦しめられているのに、彼は乳飲み子の泣き声を聞いて生活しているなんてどういうことなんだろう。私はこれから待ちに待った春休みでワクワクしているのに、彼には休みなんてなくて懸命に金を稼いで子どもを育てるなんてどういうことなんだろう。私の日常の中にセックスなんて存在していないのに、彼は生の感触を悦んでるなんてどういうことなんだろう。世の中は分からないことだらけだ。でも、子どもは親を選ぶ権利なんてなくて、偶然男女の中出しで誕生してしまっただけなのに一生が決められてしまうなんて事実は小説より奇なり。その子には人並みに幸せになってほしい。本人が望むなら大学とかに入ってほしい。ちゃんと子どもを養っていける資質能力がないなら、絶対に中出ししないで。

36歳、フリーター、処女。

 アリストテレスは人間は社会的動物だと言っていた。が、彼の提言に該当することのできない人はいっぱいいる。

 コンビニ人間を読みました。基本的に本はよほど面白くないと買いたくないので、図書館で読んで済ましてしまうが、文庫版が出たら買おうかなぁと思ったくらい最近読んだものの中では好きな作品である。市営図書館は予約数が膨大できっと1年待っても借りられないだろうとのことで、学校の図書館で二ヶ月ほど待ちようやく借りることができた。

 語彙のストックがないので貧相な言葉でしか感想を表現できないのだが、こんな私の存在が許されたような気がした。私も主人公みたいな所があり、まあ簡潔に言ってしまえば、私自身自閉症スペクトラムの気があるので、そうだよな〜、そうだよな〜と思いながら読み進めていった。今の社会…というより、社会はずっと昔から不寛容だし、多様性を受け入れてはくれない。一言で言うと、いちいちうるせえ!と感じです。ムラに属すことのできない異質と称される人間は排除し、とことん見下す。日本は下方意識を持つ人が多い国なのだろうか。主人公が友人とその旦那たちとのバーベキューをするシーンでは、36歳になって結婚せず、定職も持たない彼女のことをせせら笑っていたが、実にリアルで、世の中にはこのような考え方持っている人が大多数なのでしょう。特に田舎の人間では人の(悪い)噂が大好物なので独身の人は格好の餌食になっていた。ラストは自分はコンビニでしか生きていけない動物だと気付き、希望があるわけではないのだが、この本は規範的な生き方のレールに雁字搦めになること無いじゃない、と思わせてくれる。主体者は困ることがあるかもしれないけれど、別に生涯未婚だって、処女だって、アルバイターだって他人のことなどどうでもいいではないか。

 主人公に共感できないと思ったのは、たとえ私が自閉症スペクトラムだとしても、体裁のために白羽さんを飼うことはできない点だ。彼もきっとアスペルガーあたりで、読んでいるだけでぶん殴りたくなるような人物だが、おそらく正論を言っても話が通じないタイプであり徒労でしかない。顔もブサイクとかそういう範疇に収まらず、どちゃくそ気持ち悪いと思われる。身体から異臭を放っていそうだし、口をひらけば口臭が瞬く間に広まっていくのだろう。ただ、あれだけ自分を客観視できず、頭のおかしい発言を繰り返していたのに、主人公の妹の前では綺麗な嘘をすらすらと吐けていたのはなんとなく腑に落ちないかった。彼のような人はそんな芸当できないと個人的には思う。また彼が、恵子のことを性的対象として思っていないことを幾度も語っていたが、相手からは対象内として認識されている前提がある。これは白羽に限ったことではない。構内で男子生徒が「あいつはブスだから無理だわー(笑)」みたいな会話をよくしているが、あなたの顔もひどく醜いし、あいつは自分とヤりたがっている前提なのがちゃんちゃらおかしい。人間は他者のことを見下さないと死んでしまう生き物なので仕方がないのだろう。

 

 高校時代、どう考えてもアスペルガーであろう子がいて、彼は学年中に知られていた。バカにされる格好の対象だった。いじめまではいかないけれど、私がそんなこと言われたりされたら学校来れなくなる、とくらいのレベルまでいじりという言葉で括っていいのか不明だけれどいじられていた。先生たちも気づかぬふりをしていた。受験のストレスをぶつけていた人もいたのかもしれない。私は遠巻きに傍観していたのだけれど、こういう生徒を普通の公立高校に投入していいのかずっと分からなかったし、私もアスペの当事者として言葉では言い表せないような圧迫感に襲われていた。彼が大学に行ったのかとか今はどうしているとか知っている人は多分誰もいない。友人も誰一人いなかったから。この本を読んで彼のことを熱烈に思い出した。

 発達障害を抱える人ってどうやって生きていけばいいのだろう。コミュ力至上主義の世の中でアスペなんかはコミュ障がごまんといて、そういう人は機械に代替されたしまうような職にしかありつけなくて、どんな人生を設計していくべきなのか。この本は、バッドエンドではなくて、生き方の多様性を認可してもらえるような明るさもあったけれど同時にどっと荷物を押し付けられたような気持ちにもなった。